2025年1月7日の山火事(イートン・ファイヤー)によって自宅が全焼し、改造ガンプラを始め趣味で集めた大量のコレクションや家財を全て失ったた顛末についてここに記しておきたいです。

『よし!これで完成だ。』と午後5時に心中で叫び、ガレージから自宅の居間に入った瞬間、停電により一気に光を奪われました。
前年の11月中旬から一心に進めていたガンプラの改造プロジェクト(ここ30年来温めていたHGUC S-ガンダムの理想化)に一区切りついた瞬間の出来事でした。
停電により夕食が作れないため、妻と外食に出た帰り道、北東方向の空が真っ赤に染まって映画の1シーンのようにこちらに襲い掛かてくるのが見えました。(前日以来続いている暴風に極端に乾燥した山肌が重なった山火事発生です。)
急いで帰宅した瞬間、スマフォの警報を通じて山火事への警戒が告げられました。(この時点では避難勧告や避難命令ではなく、あくまで避難準備の奨励的なものでした。)
その後の出来事は以下に箇条書きにした通り、まったく現実感がなくドラマの中の出来事のように進展して翌朝の悲報に続きます。
*6:30pm:近所の住人が避難を始めるのに急かされるように、着の身着のままパスポートなどの貴重品の入った金庫、飼い猫のサチ子、彼女の餌とリター・ボックス、寝袋、ジャケットのみを自家用車に積み、近所に住む友人宅の様子を見てから、妻の教える小学校の彼女の担当教室へ向かいました。(この時点では強風の去った翌朝に何もなっかたかの如く帰宅するつもりだったので、PCやハードドライブ、過去作品などの『アーティストの命』はすべて置き去りにして家を後に、、、)
*7:30pm:強風の吹き荒れる中、出火地点付近に住む友人夫婦(+息子さんとルームメートさん)と合流し、すでに非難する自動車で込み合う中、北の空に真っ赤な炎を見ながら、なんとか教室へ到着、荷物を運び終えたその時、スマフォを車に忘れたのに気付きました。
*7:45pm:スマフォを取りに駐車場に戻る途中、強風がさらに速度を上げ突風に代わり、入口ドアをせき止めておいた枯れ木が折れ、(ドアが外から開かなくなり)15分ほど時速90マイルの砂埃渦巻く突風の中にさらせれることになりました。助けを待つ途中、北北西から火炎放射器のように飛んできた火の粉が公園の芝生に燃え広がり、たちまち妻たちの避難している教室のほうに棚引きました。
*8:15pm:避難したはずの教室を追われた私たちは、10マイルほど南にある友人のさらに友人の家にお世話になることとなりました。幸い、このお宅は火の手から遠い上、私たちが泊まれる二間が開いており、私と妻とサチ子、ルームメイトさんと猫のカムイ君)が裏の広間に、友人夫婦とペット犬のマヤさんが客間にお世話になることに。
*9:00pm:猫のトイレ用の砂を買いに行った後、やっと少し落ち着き横になった途端、サチ子が今まで聞いたことのないような悲しげな鳴き声を上げました。彼女は慣れない場所にいるうえ、知らないカムイ君のことが気になって仕方がないらしく、裏庭に付き添って散歩させてたりしたのですが結局、翌朝まで悲しげに泣き続けました。私はそんな中ガンダム改造でサンディングをしすぎた結果か?左肩の神経が痛く、ほとんど寝付けず、ただ一つの思いが頭の中を占め続けていました、、、、
『(一緒に避難している友人夫婦の家が出火場所のすぐ近くのため、)明日の朝彼らの家が燃えた中、どういう顔をして燃えてない自宅に戻ればいいのか?』
と言った複雑にねじ曲がった感情です。
そんな思いもあり、横になる中、『彼らの家がどうか無事でありますように』と祈らずにはいられませんでした。痛い左肩がさらに重く重く感じたのを忘れません。
*翌朝6:30:私がまだ横になっていた時、妻が友人の奥さんのSさん、とルームメートのMさんの三人でパサデナ・ダウンタウンの臨時避難場所の様子を見に行ってくると言って出かけました。帰りが遅いので、7時半ごろ妻に電話したところ、彼女のいつになく暗い声が聞こえました、、、、
『気になったので来てみたんだけど、、、今、自宅南の霊園のほうにマレンゴ・アベェニューを北上しているんだけど、、、霊園の北のほうが真っ黒の煙に包まれて、、、私たちの家は燃えちゃった、燃えた、 と思う、、、、無言』
この時ほどの驚きは生涯経験したことがありません。(私はむしろ、自宅の無事のニュースを九割九分期待していたので。)
*8:00am:妻の帰宅後にわかに慰められる側に立った居心地の悪さの中、全員でお祈りしている途中、自宅の隣人で(避難情報を共有していた)建築家のMさんから動画が添付されたメールを受け取りました。そこには当日5時半ごろ、北から南へ吹き荒れる黒い炎の中、燃え盛る自宅の最後の姿が映っていました。(マイクさんは夜通し自宅から貴重品や家財を運び出しながら火事の行方を見守っていたそうで、彼の自宅が燃え始め最終的に非難する直前に私の家が焼き崩れる動画を撮ってくれました。)
非常にショッキングな動画なので、私は今現在遠くからざっとしか視聴出来ておりませんが、視聴した妻を通じて自宅全焼の確定を早い時点で確認できたのは、(期待を長く持ち越したうえで、がっかりするショックを経験せずに済んだので)ありがたかったです。
注ーーー>山火事の流れ:当初、出火場所(イートン・キャニオン)から南東に吹く暴風に押される形で南に燃え広がった流れとは別に、出火地点から北西にかすかに燃え広がった弱い流れが、一晩経過する中でレイク・アベニュー西側にじわじわと燃え広がり、南南西に向かう局地的な突風が吹き荒れた早朝4時から6時までには、自宅のあったアルタディナ北部まで進んでいたようです。
*8:30am:あまりのショックに、居ても立っても居られない妻と私は、お世話になっている未亡人Sさんの心のこもった朝食をほったらかしにして、一目散に偶然近くにあった行きつけの中華料理屋さんで湯葉入りの朝粥を無我夢中にかき込んでいました。
*10:00am:朝食後、お世話になっているお宅に戻った時、家の様子を見に行った友人の息子さんから電話があり、『家は燃えた形跡はなく、無事に立っている』といった内容でした。この時なぜか、昨日からの左肩の重さや夢中にお祈りしてきたのは、友人のためではなく、『自分たちに来たりうる悲報に対しての霊的な抵抗力をつける予防接種的』なものだったのだと気付きました。
*10:15am:家が無事だと知ったルームメイトのMさんは『住めるか確かめてみる』と言って、子猫のカムイ君と帰っていきました。
このお宅にもう一泊お世話になった後、15マイル東にあるモンロビアの別の友人宅に同居させてもらえる運びとなり、1月9日に引っ越しました。
(自宅跡地に踏み込み許可の出た1月後半の1月26日撮影の焼け跡:本人撮影)
人一倍内弁慶な性格で、自宅やスタジオ代わりのガレージにいるのが何より大好きな典型的な『インドア派・猫派』な私にとって、自宅がなくなることほど恐ろしいことはありません、おまけに何千冊という蔵書、数限りない立体造形のコレクションや自作の模型やデザイン画像の入ったハード・ディスクまですべてを一気に失くしてしまいました。『犬は人に、猫は家に付く』といいますが(外交的な妻と違った意味で)、家をなくして私が受けたショックは最悪レベルのものでした。
この後に続く自宅再建への道は多難に満ちた、しかし私たちに成長を促す一面を持つ、非常に興味深いものとなって行きます。よろしかったら、末永くお付き合いください。
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